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こんにちは! 偉大な芸術家を題材にした映画を観るときは、
背筋を伸ばしてきちんと座って鑑賞します、西田メルモです。
今回は、9月2日公開の『セザンヌと過ごした時間』を観てきました!
画家ポール・セザンヌと小説家エミール・ゾラの思考と、二人の関係を知ることのできる物語。
セザンヌが描いてきた美しい情景の中で交錯するふたりの半生が今、明かされます。
© 2016 – G FILMS –PATHE – ORANGE STUDIO – FRANCE 2 CINEMA – UMEDIA – ALTER FILMS
- 原題
- Cézanne et moi
- 製作年
- 2016年
- 製作国
- フランス
- 配給
- セテラ・インターナショナル
上映時間- 114分
- 監督
- ダニエル・トンプソン
- キャスト
- ギヨーム・カネ
ギヨーム・ガリエンヌ
アリス・ポル
デボラ・フランソワ
サビーヌ・アゼマ他
ギヨーム・ガリエンヌとギヨーム・カネ
フランス実力派の名にかけた熱き競演セザンヌには、『不機嫌なママにメルシィ!』(13)がセザール賞作品賞を含む主要5部門に輝き、
今やフランスで絶大な人気を誇るギヨーム・ガリエンヌ。
破天荒な言動で周りを魅了するセザンヌをダイナミックに演じた。ゾラには、『戦場のアリア』(05)のギヨーム・カネ。
最後は謎の死を遂げたゾラの複雑な人物像を繊細に演じた。『モンテーニュ通りのカフェ』(06)のダニエル・トンプソン監督が、
15年に渡る膨大なリサーチの末、長年の夢を映画化。人は喜びも悲しみも、こんなにも美しく確かな形に残すことができる ――
芸術の秘密に心が躍る感動作が誕生した。
少年時代に出会ったセザンヌとゾラの絆は、境遇は違うが芸術家になる夢で結ばれていた。
ひと足先にパリに出たゾラは、小説家としてのデビューを果たす。
一方、セザンヌもパリで絵を描き始め、アカデミーのサロンに応募するが、落選ばかり。やがてゾラは、ベストセラー作家となって栄光を掴むが、セザンヌは父親からの仕送りも断たれ転落していく。
そして、ある画家を主人公にしたゾラの新作小説が友情にひびを入れるが……。
「近代美術の父」として知られるポール・セザンヌと、不朽の名作『居酒屋』『ナナ』の小説家のエミール・ゾラ。
魂を温め合いそして削り合った、激しくも美しいふたりの友情の実話が、ついに映画化されました。
メガホンを取ったのは、ロマンティック・コメディーの名手として知られるダニエル・トンプソン。
実は、アートコレクターとしても知られるトンプソン監督にとって、
セザンヌとゾラの実話の映画化は長年の夢だったのです。
ふたりの資料を読み漁るうちに、彼らを家族同然のように想い、
彼らが若き日々に感じたであろう心の声が聴き取れるようになったというトンプソン監督。
本作は、ふたりが子どもだった頃からの友情譚ですが、
その関係はお互い芸術家といて生きていくなかで複雑なものになっていきます。
監督は、セザンヌとゾラの関係を語る物語を作るなか、このように述べています。
友情というのは、愛の物語と同じくらい、いえ、もっと強いものだった。
映画の中で語っているように、友情は愛以上にめんどうなものなのです。
というのも、友情の道しるべなどなく、それぞれに異なったものなのですから。
セザンヌは、裕福な銀行家の息子でブルジョアとして生まれ育ったが、
画家として評価されず描いた絵で稼ぐことができない。
一方ゾラは、母子家庭で貧しい少年時代を送っていたが、
小説家として大きな成功を収めてブルジョアとしての地位を築き上げる。
親友同士である彼らの生涯は、いつも逆の位相にあったのです。
そして、1886年にゾラが書いた小説『制作』によって、ふたりの関係に大きな亀裂が入ることになります。
その2年後の1888年、パリ近郊メダンにあるゾラの邸宅で再会するとき、ふたりはどんな会話をするのか……。
ふたりの人間性を深く理解できているからこそ、脚本家でもあるトンプソン監督は
想像を歴史的事実に重ね合わせ、混ぜ合わせて、本作の脚本を書き上げることができたのです。
芸術家の代名詞ともいえる天才ピカソに「我々の父」と敬愛され、
色彩の魔術師と謳われるマティスに「絵の神様」と崇拝されたセザンヌ。
“様々な角度から見た対象物を一つのキャンパスに描き込む”というセザンヌのやり方は、
キュビズムにおける芸術概念の基礎を作り上げたとされています。
【キュビズム】
角度から見た対象物を幾何学的図形に捉え、一つの画面に収めて描く、立体派とも呼ばれる美術運動。
これは20世紀初頭に起こった運動で、ポール・セザンヌの「自然を円筒、球、円錐として捉える」といった“形態の捉え方”に影響を受けたジョルジュ・ブラックやパブロ・ピカソによって創始された。
本作を観て、何より驚かされましたのが、セザンヌの人物像です。
スクリーンに映し出されるのは、すぐカッとなり怒鳴るような激情型で、
むしゃくしゃしている時は優しくしてくれた人の手をはねのけて悪態をつくような人。
急に激高したかと思うと、しばらくするとまったくそのことを忘れているような人だったのです。
おそらく今の時代なら、セザンヌは双極性障害と診断されたかもしれないとさえ言われています。
こんなにも熱く激しい人だったとは、彼が残した絵画からは想像もつきませんでした。
作中で、セザンヌは人間関係において問題ばかり起こします。
ゾラは彼のことを思って、「君は誰にでも横柄で喧嘩っぱやい。だから成功しない」と伝えますが、セザンヌは聞こうともしません。
どんなに絵を描き続けていても、世間から無視され続けたセザンヌ。
ゾラに、大人になるべきだと言われても、
「絵はやめない。描きながら死ぬ。」
そう言って絵を描くことだけはやめないセザンヌの姿に、胸が締め付けられる思いがしました。
人は稼ぎがなければ生活できませんし、稼ぐことを考えれば創造だけに集中することも難しいでしょう。
セザンヌは両親から支援を受けながらでも。
両親の支援が断たれた後は、たとえ絵のモデルで恋人のオルタンスとの間に子どもができても、
ボヘミアン(放浪者)のような生活を続けて絵を描き続けていました。
そんな状況を見かねた親友のゾラが援助をはじめても、彼は変わらず描くことに神経のすべてを注ぐのです。
ここまで頑なに、純粋に、ひとつのことだけを追求し続ける姿は、
創造するとは一体どういうことなのか、まさにその神髄を映し出しています。
天才が、天才と呼ばれるようになる前の、
欠陥だらけのように思えるほど等身大のポール・セザンヌを、そこに見ることができます。
トンプソン監督がシナリオを書き上げる時期に入ってからキャスティングを考え始め、
最初に思い至ったのがギヨーム・ガリエンヌでした。
彼の容姿は、地に足が着いたインテリとして、人が連想する“ゾラ”そのものだと思ったそうです。
彼にシナリオを送り、読んだ後電話がかかってきたのですが、彼は「セザンヌ役を演りたい」と言ったのです!
続けて、「よければ、台本の読み合わせをしてもらえれば、僕がどれほどセザンヌ役向きか分かってもらえるよ」と。
実際に読み合わせをしてみると、“まさに彼こそセザンヌだ”と確信したそうです。
その後、ゾラ役にはエージェントの助言もありギヨーム・カネにオファーしたところ、即座にOKをもらえたそうです。
ギヨーム・ガリエンヌはセザンヌの、ギヨーム・カネはゾラの人物像を本能的に捉え、探究し、まるで憑依しているのではないかと思うほど、スクリーンに映し出されるふたりはそれぞれ一人の人間として存在しています。
圧巻の演技で観客を一瞬にして惹き込み、あの時代、あの瞬間の目撃者にしてくれる2人のギヨームもまた、
セザンヌとゾラと同じように天才なのだと目に焼き付けられます。
2人のギヨームによってセザンヌとゾラがどのような人物だったのかを知り、ふたりの歴史を知り、
本作鑑賞後あらためて深く彼らの作品に触れたくなりました。
フランス実力派の2人の熱き競演で描かれた、
人生を導く出会いと友情、創造の軌跡が心を揺さぶる感動作。
セザンヌが描いた情景の中の世界を感じられる本作、ぜひ劇場でご堪能ください。
『セザンヌと過ごした時間』
9月2日(土)Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開
映画HP : http://www.cetera.co.jp/cezanne
知識量少なめ、熱量多めの映画大好き人間(女)。
映画館で観るのが好きで、毎週何を観に行くか考えている時が至福です。
ホラーとグロテスクな映画以外、何でも観ます。
将来、お気に入りの映画館まで自転車で通える距離に家を構え、
その家にシアタールームを作るという野望を抱き生きています。
(文/西田メルモ)
※記事内容はすべて公開日時点の情報となります。
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