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井の頭の吟遊詩人Fura(フラ)さんが歌い続ける理由

井の頭の吟遊詩人Fura(フラ)さんが歌い続ける理由

吉祥寺に住む25歳のライターのそちこです。

吉祥寺駅から井の頭公園へ向かう途中、マルイの横の道を抜けて階段を少し降りると 弾き語りをしているおじさんがいます。

昼間の井の頭公園の階段
井の頭公園の階段
オレンジのターバンを巻いたおじさん
オレンジのターバンを巻いたおじさん

そちこは吉祥寺に引っ越してから4年目になるのですが、毎日夕方から歌っているおじさんがずっと気になっていました。

4年間、変わらずに歌い続けているおじさんに、 「どんな想いで歌っているのか」を直接聞いてみることにしました!  

目次

  1. 井の頭公園とFuraさん
  2. 『Redemption song』のメッセージを伝えるために
  3. メディア媒体への視線
  4. 原発事故で動揺する人々を目の当たりにして
  5. SDGsとFuraさんの暮らし
  6. 環境問題への取り組み
  7. 取材の最後に弾いた冬の1曲

1.井の頭公園とFuraさん

おじさんは Fura(ふら)さんと呼ばれており、路上の演奏でお金を得て井の頭公園で眠るという仙人のような生活をされています。

ご家族はスペイン人の奥さんとお子さんが4人。年齢は57歳。
週に一度ネットカフェに行き、スペインに住む家族や友人と連絡を取っていると話してくださいました。

さっそくインタビューへ移ります!

街灯の下で演奏しているフラさん
街灯の下で演奏しているFuraさん
3月3日に尋ねたので雛祭りの歌を弾いてました
3月3日に尋ねたので雛祭りの歌を弾いてました

どうしてこの階段で歌っているんですか?

Fura

私がこの場所を選んだのは、 ちょうど吉祥寺の街と公園の”境(さかい)“の場所だから。
井の頭公園は人が作った形じゃなくて、有史以来の土地なのね。
同じキャパシティの街が反対側にあって、この狭間で 「自然をもう一回見直そうよ」というメッセージを届けようと思って、都市の緑地帯をそのまま描写した歌を作っています。

井の頭公園へ初めて来たのはいつですか?

Fura

18歳のとき、井の頭公園にきて、北村西望アトリエの近くを散歩してたら、おじいさんと出会って、そのおじいさんがフェンスの外から私を一生懸命見てたから、
「ねぇおじいさん、チケット買って中に入れば一緒に見れるよ。いかない?」って声かけたら、
「ここは昔、フェンスもなくて孔雀が飛んでて広々としてたんだよ」と。
実は、この方こそ 北村西望さんで、平和記念像作った方。
北村さんは島原出身で、僕は長崎五島列島出身。
北村西望さんと井の頭公園の平和記念像に出会って、東京だったらこの街にしようって思ったんです。

長崎の平和記念像
長崎の平和記念像
井の頭公園にある平和記念像(原型)の写真が飾られていました
井の頭公園にある平和記念像(原型)の写真が飾られていました

かつて、井の頭公園には北村西望さんのアトリエがありました。
現在は『 北村西望彫刻館』に名前をかえています。

北村西望彫刻館』には平和記念像の原型が飾られています。

2.『Redemption song』のメッセージを伝えるために

Furaさんが18歳のときに ボブ・マーリーが亡くなりました。
ボブ・マーリーが最後に残した曲について、ボブ・マーリーが突然亡くなった理由について何度も考えたそうです。

そのことがFuraさんに音楽活動を始めるきっかけになりました。

音楽活動を始めたきっかけは?

Fura

ボブ・マーリーが最後にレコーディングした歌に 『Redemption song』って曲があるの。
その中で、「原子力を不公平に使うことは絶対にあってはならない。誰にも時間を止める権利はないんだから」っていうことを彼が言った。
当時、 原子力に関して物事を言うっていうのはタブーだったから、ずっと伏せられていたのね。
ディスクジョッキー(DJ)の小林克也さんがボブ・マーリーが死んだ次の週に、自分のTV番組で『Redemption song』を紹介したの。
日本で広められて、 彼が広島や長崎の人が言えないことを代わりに言ってくれた。
言論の部分で、とてつもない進歩だったのね。
なぜかボブ・マーリーはパタンと死んじゃうの、そういうもののリスクみたいなもので。

そのTV番組をFuraさんは見ていたんですか?

Fura

そう。その番組を長崎の実家で見ていて、隣にいた父親に
「俺はこの人の次のメッセージを伝えるために音楽やりますので」
って伝えて楽器を持って島を出て、東京へ行ったの。

シールの貼られたギターケース
シールの貼られたギターケース
フラさんのギター
Furaさんのギター

3.メディア媒体への視線

Furaさんは18歳のときに東京に来て、レゲエバンドを組んでお金を稼いでいましたが、5年後には 「日本はもう駄目だ」と感じて、Fura さんは海外へ渡りました。

どうして日本が駄目だと感じたんですか?

Fura

すごくメジャーな人の、 純粋に作ったものがパッケージされて、自分の思っていることが全然別のコンセプトで使われたりする。
めちゃめちゃ良い人なのに、その人の嫌な部分だったり、良いように見えないように 編集して潰しちゃうところとか見ちゃったのね。
その人の付き人をやっていて、だんだん消えて殺されちゃうみたいなのを見てきた。
本人も唖然として潰されるっていう。

この取材についてはどう考えていますか?

Fura

こういう媒体って本当は好きじゃない。
私のセルフプロモーションはこういう媒体のないところでずっとやり続けてきたけど、今は SNS使うから反撃ができる。
もしこれで何かされたならば自分のSNSでフォローできるし、 一方的ではない、こちら側からアクセスもできる。
だからこの媒体とはお付き合いしてる、そんな感じ。

Fura

私はインターネットの世界はフェアなところだと思ってるし、あなた達に知らせた後に 次のことにつながって、一緒に何かできたらと思っている。

4.原発事故で動揺する人々を目の当たりにして

23歳に東京を出て海外に渡ったFuraさん。
Furaさんが最初にヨーロッパに着いた時、 チェルノブイリの事故(1986年)が起こっていました。

当時のヨーロッパの様子を聞かせてください。

Fura

原子力発電所がどうにもならない状態で壊れていて、 近寄ればみんな被爆して死んじゃうって、ヨーロピアン達がすごく動揺してました。
コバルト60っていう素粒子が酸性の雨を降らしたり、ヨーロッパ中の街路樹とか、お庭の緑の葉っぱに白い斑点がでたりして、酸性の雨を浴びすぎると毛が抜けたりとか、細胞が壊れたりするっていう怖い噂も流れてた。

Furaさんの周りはどんな状況でしたか?

Fura

その年の夏にいたんだけど、観光地で演奏してると有名なロックバンドなんかが、毎年トレーラーにセット組んで夜になると演奏して喜ばれたりするのね。
電気も使わないでネイティブに帰ろうとしている ヒッピー達が トレーラーバンドに向かって、
「お前たちが大きいカロリー使ってそんなことやってるから、チェルノブイリの事故なんかが起こったんだ。お前達のせいだ」
って言ったの。トレーラーの電源とかケーブルを切っちゃって、ヒッピー達が簡単な楽器で大騒ぎして暴動を起こしてたんだ。

Fura

私は笛を吹きながらその狭間を歩いてて、ヒッピー達が「お前何者だ」って聞くから、「あんた達が騒ぐこと自体もカロリー使うことだから、静かに音楽聴いてくださいよ」って言ったの。
「長崎から来た」って伝えると、 「プルトニウム爆弾が落っこった場所だっけ? 俺達どうなるの? お前達どうしたの?」と。
「こっちは戦争でやられちゃったけど、 あんた達は自分で引き起こしてやられちゃってるわけだから。それはもうリスクとして受け止めるしかないよ。私達は残念だけど2度目の被爆ですよ」

荷物置き場の写真
手書きのメッセージとイラスト
手書きのメッセージとイラスト、投げ銭入れ
小銭と音符の置物が入っています

Fura

その状況の中で、私がチョイスしたのは 「私は電気を使わず、届く範囲で音楽活動する」

当時お金は稼げたのでしょうか?

Fura

笛って結構遠鳴りして聞こえるんで、お金はもらえるんですよ。
当時は 東洋人のヒッピーなんか1人もいなかったから珍しがられて、 「ナショナルジオグラフィック」とか 「ネイチャー」などのオルタナティブの雑誌を持ってると、女の子達が雑誌の中のインディオだってちやほやしてくれた。
路上でやってるうちに妻と2人で旅するようになって、日本とヨーロッパの間を行ったり来たりしながら、私は音楽、妻はクラフター(crafter:工芸作家)で稼いでいたの。
4人の子供を育てながら旅の生活をしていて、子供たちが「(路上での音楽活動をして)いいよ」って言ったんで、また私1人で路上に専念してる。

日本で再び音楽活動を始めたきっかけは?

Fura

たまたま用事があって、9年前の冬にお正月に日本に帰ってきたの。
2011年に震災と原発事故が起こって、自分の祖国が動揺してるっていうのを見たの。
用事が済んで海外に戻る状況だったけど、もう2度と日本に帰ってこないだろうと思って、出て行く前に ちょっと演奏してみようと。
あのときのヨーロッパみたいに 「どうなの?」と聞いてくるだろう。
今まで私なんかに振り向かないような人達が声かけてきたから面白いと思って、それから路上を9年やっています。

夜の井の頭公園とFuraさん
夜の井の頭公園とFuraさん
街灯に飾られたトカゲの人形と時計
街灯に飾られたトカゲの人形と時計

5.SDGsとFuraさんの暮らし

この場所でこれからも演奏を続けるんですか?

Fura

今の目標は来年の 2021年3月11日が最初のゴール、ちょうど10年になるじゃない?
来年の3月11日まではこのまま日本でこのスタイルで続けて、それで次のことやろうと思ってる。

Fura

SDGs(Sustainable Development Goals)っていう国連の持続可能な開発目標、17項目。
目標を言い出したのが2015年くらいで、発表されてもう定着し出してるから、これから本当の活動が始まると思う。
だいたい 私のやってきたことって、音楽活動も暮らしも含めて全部共通するところが多いので、次の10年は任せてようかなって。

SDGsの17項目
SDGsの17項目

SDGsは2015年に国連サミットで 2030年までに達成される世界共通の目標として決められたものです。
SDGsは17つのゴールに対して169のターゲットを設けており、 「誰も置き去りにしない」で世界の課題を解決しようという内容になっています。主に貧富格差、人権問題、地球温暖化、環境問題などが課題として取り上げられています。

環境問題について何か感じることはありますか?

Fura

井の頭公園の池は地下水だから、年中一定の温度があって、冬は池の水の方が暖かいのね。
外気が冷えれば池の表面に氷が張るんだけど、 4年くらい前から氷が張らなくなっています。
いつも明け方の私の寝袋は霜でカチカチになって冷え込むんだけど、その時間は凄く短い。
今年の冬は1月の末に夕暮れから雪が降ったけど、最も冷え込む4時頃には雨が降って、雪が溶けちゃったの。
昔と変わっていると温暖化を感じるね。

Fura

グローバルウォーミングってのは確実に起こっていて、私は野宿して温暖化を感じてる。
人間は地球の新陳代謝に踊らされてこういうことをやってるかもしれないけど、 実際私達は気づいているわけで修正ができる。
社会の仕組みだとか、個人の暮らしを変えていくだけでもクリアできると思ってる。

個人の暮らしの中で 環境に良いものを選択していけば、作る側も 環境に良いものを作るようになって、社会は少しでも変えられると考えるFuraさん。
Furaさんは環境のことを考え、電気や火を使わない生活を送っており、食生活では 菜食主義を選択して、35年ほど続けているそうです。

6.環境問題への取り組み

Furaさんは他にも環境への取り組みとして 『オアシス』というイベントの構想を考えているそうです。
2021年の活動が終わって、誰か一緒にやりたい人が現れたらやろうと思ってるそうです。

オアシスの3つのモチベーション
『オアシス』のモチベーション

『オアシス』の活動内容

月に1回、東京の公園や緑地帯に集まり、 天然素材で生きていくことをモチベーションとしたイベント。
ワークショップをしたり、持ってきたランチを食べながらベジタリアンの人とレシピや役に立つ情報を共有したり、家の作り方などを皆で一緒に考えたりなど 環境を見直すきっかけの場をつくることが目的だそうです。

7.取材の最後に弾いた冬の1曲

取材の最後に1曲演奏をお願いしました。

「今年は雪が少なかったから悔しくて、この曲を春分の日まで歌おうって決めてたの。」
と、たくさんの曲の中からFuraさんが選んでくださいました。
『赤いトイピアノとからし色のセーターの冬』という曲です。

手書きの楽譜
手書きの楽譜
チューニングをするフラさん
チューニングをするFuraさん

5年前の大雪が降った日にFuraさんの寝袋に雪が積もる中、夕方から朝にかけて、公園の東屋で詩を作ったそうです。
井の頭公園の自然の描写がほとんどで、雪が降る中で人が争うことの矛盾を思って書きなぐった詩と 27年前の雪の日にお子さんと一緒に遊んだときの情景が1曲の中に盛り込まれています。

どうしてこのようなタイトルを?

Fura

赤いトイピアノで1歳の子供と遊んでるときに、 トイピアノで作った曲をこのギターで再生して、それにメロディーを作って乗っけたの。
その隣で娘がママの からし色のセーターを頭から被って、ワンピースにした状態でオマルの練習していて、頭を縮めるとセーターがぴょこんと立っているみたいで、頭を引っ込めたり出したり遊んでたのね。
スペインの国旗が赤と黄色で、そのときスペインにいたから赤と黄色が面白いことやってるなって思って。
その日のことを忘れてなくて、その日もちょうど雪が降ってたから。

地球全体の問題を考えて井の頭公園から曲を発信し続けるFuraさん。
「こんなことしてるうちに名残雪でも降ったら面白いんだけどね。 雪が降って環境問題のことで焦っているのをゆっくりしていられたらね。
と呟きながらギターのチューニングを合わせていた姿が印象的でした。

Furaさんのお話を聞いてから井の頭公園の池の水や木々をよく見るようになりました。
井の頭公園の自然を当たり前にあるものと感じて、少しずつ変わっていることすら言われるまで気づいていませんでした。

20歳を過ぎてから雪が降っても気にならなくなってしまったそちこでしたが、
取材から12日後、 3/14(土)に東京で季節外れの雪が降ったときにはずっと眺めていました。
雪は1日経たずに止んでしまいましたが、来年の雪の日には Furaさんが気持ち良くこの歌が歌えることを願っています。

Youtube:『赤いトイピアノとからし色のセーターの冬』(shortver)

(文・動画・写真/そちこ、取材応援/Ao)

※記事内容はすべて公開日時点の情報となります。

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